ぎょくりんじ
徳島県吉野川市鴨島町山路107
文治3年(1187年)平康頼による創建。康頼は治承元年(1177年)鹿ヶ谷での平家討伐の謀議があらわれて鬼界ヶ島に流されたが、のち許されて都に帰り、文治2年(1186年)源頼朝から麻植の保司に任ぜら..
文治3年(1187年)平康頼による創建。康頼は治承元年(1177年)鹿ヶ谷での平家討伐の謀議があらわれて鬼界ヶ島に流されたが、のち許されて都に帰り、文治2年(1186年)源頼朝から麻植の保司に任ぜられ、その翌年、後白河法皇より下賜された一寸八分(約5.4cm)の千手観音を本尊に慈眼山玉林寺を創建し、また、流刑地に置き去りにしてきた俊寛僧都を弔うため、鬼界山補陀洛寺を創建した。かつては俊寛筆になる法華経を蔵したというが現存しない。この二つの寺をのちに併合して再興したのが現在の玉林寺です。また、康頼は「鬼界ヶ島から帰京できたのは、毎日、熊野権現に赦免を祈願したお陰である」として、当地に熊野神社を勧請した。天明年間、村人や家臣の子孫らが公の遺徳を慕い、町内森藤に康頼神社を創建した。
臨済宗妙心寺派
1187年(文治3年)
千手観音菩薩
平康頼
延宝年間(1673~1681)
僧宗本
慈眼山 玉林寺
阿波西国三十三観音霊場 東部30番
絹本著色十六善神像 一幅(県指定文化財) 境内のモクコクの大樹(県指定天然記念物)
JR麻植塚駅より徒歩40分 土成ICより車で20分