しょうがくじ
大阪府岸和田市宮本町27番8号
寺伝によれば、もとは紀州根来寺(和歌山県岩出町にある新義真言宗総本山根来寺)の末寺で「摩頂山圓通寺智光院」という寺院であった。しかし、天正十三年(1585)、豊臣秀吉が大軍をもって和泉から根来に入り..
寺伝によれば、もとは紀州根来寺(和歌山県岩出町にある新義真言宗総本山根来寺)の末寺で「摩頂山圓通寺智光院」という寺院であった。しかし、天正十三年(1585)、豊臣秀吉が大軍をもって和泉から根来に入り、根来・雑賀の一揆を鎮圧する。その兵火を受け、和泉一帯の根来勢力はほぼ一掃される。当寺もこの戦乱の兵火に合い、堂宇が悉く破壊されたようである。よって、開創年代を詳らかにすることはできない。そして、天正兵乱以後、根来寺の勢力は急激に衰える。和泉地方一帯の人々も、明け暮れる戦乱に疲れ、真の救いを求めて浄土宗のお念仏に帰依の心を深めていく。当寺も新義真言宗から浄土宗へと人々の求めに呼応していく。浄土宗としての第一世は、團蓮社傳誉上人である。
浄土宗
阿弥陀三尊
日照山 寶池院 正覚寺
南海本線 岸和田駅より徒歩7分