くぼたじょう
秋田県秋田市千秋公園1-39
久保田城は、慶長七年(1602)に出羽国へ国替えとなった佐竹氏二十万五千八百石の居城であり、複数の廓を備えた平山城です。 築城は慶長八年(1603)年五月に開始され、翌年の八月には初代藩主佐竹義宣..
久保田城は、慶長七年(1602)に出羽国へ国替えとなった佐竹氏二十万五千八百石の居城であり、複数の廓を備えた平山城です。 築城は慶長八年(1603)年五月に開始され、翌年の八月には初代藩主佐竹義宣が久保田城に入り、旧領主秋田氏の居城であった湊城は破棄されました。 しかし、義宣が湊城から居を移した後も城普請は続けられ、完成したのは寛永八年(1631)頃といわれています。 久保田城の特徴は、石垣がほとんどなく堀と土塁を巡らした城であることと、天守閣をはじめから造らなかったことが挙げられます。 天守閣を造らなかったのは、国替えによる財政事情や幕府への軍役奉仕、徳川幕府への遠慮などが原因であると考えられています 幾度となく火災に見舞われその都度再建し明治まで残りましが、1880年(明治13年)の火災により大部分の建物は焼失しました。唯一の現存建物は御物頭御番所(二ノ門の開閉管理・城下警備・消火等を担当した足軽組頭の詰所)です。本丸表門は2000年に再建され、また城内にあった八つの櫓のうち、本丸北西隅に位置していた見張りと武器庫としての役割を持った御隅櫓は、市政100周年を記念して1989年に三重四階の模擬櫓(本来の姿は二重櫓だが展望室を設置)として復元されました。 現在、久保田城跡は千秋公園として整備され、市民の憩いの場として、また、桜の名所としても親しまれています。
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