アゲハ のおまいり

半世紀以上の生きた化石なので、なにも期待しないでくださいね。
omiriに参加させて頂き色々と見えて来たことがあり、私なりに、やってみたいと思います。
問題児になるやもしれませんが、もう出ていけと云われる迄常識という枠を外させてもらうかも・・・

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「爺のギャラリー光と影へようこそ!」
五つあったブログの内、最後に残しておいた花や風景写真関連のブログです。
今は廃業してますが、ブログは生きていますので、ご覧になりたい方は、どうぞ!!
ホンマは載せたくなかったんだけれど、突き上げがあり公開します。
投稿
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約15時間前
辛科神社,御朱印,アゲハ

歴史へのこだわりを感じる「多胡郡総鎮守」
境内の右手、道路を挟んだ場所にある社務所にて御朱印を拝受。

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約15時間前
辛科神社,見どころ,アゲハ

アゲハです。
いつもご覧頂き有難うございます。と、いつもとは前振りが違います。

今回紹介する「辛科神社」は、歴史のピースとして見た場合には、とても重要なピースになる神社の一つなんですが、これを紹介するとなると、一冊の本を出版できるほどのものになり、とてもではありませんができませんので、間が抜けたコメント欄を多用しての紹介になることをご承知くださいませ。

元多胡碑記念館長である宮司の神保侑史さんのご要望により、普段とは異なる名称と歴史的な食い違いも出てきます。
また、神社の由緒とは、違うものになることもありますが、これも歴史の暗部に踏み込むものと成ります事をご承知願います。

新しい白い鳥居、社号標「多胡郡総鎮守 辛科神社」神仏分離令により明治39年(Ⅰ906)に郷社(旧社格郷社)に列します。
境内入口は南東向きで、埼玉県日高市の古代朝鮮渡来人の郷「高麗群」「高麗神社」のある方向を向く。
以前は渡来人の信仰の対象となる荒船山を向いていたそうです。

29 3 78
約15時間前
辛科神社,見どころ,アゲハ

社号標「多胡郡総鎮守辛科神社」へのこだわり。

辛科神社は群馬県高崎市吉井町神保に鎮座している神社です。
辛科神社の創建は大宝年間(701~703年)に新羅系渡来人によって勧請されたのが始まりと伝えられています。
境内周辺には小規模の円墳群があり古い地名が韓科郷や甘楽(韓・伽羅)郡など朝鮮半島を彷彿させることからも当時の渡来人達の聖域となっていたと思われます。
辛科神社が境内を構える地は古代、「甘良郡」に属していたとされ、日本三古碑、上野三碑に数えられ国の特別史跡に指定されている「多胡碑」には「弁官符上野国片岡郡緑野郡甘 良郡并三郡内三百戸郡成給羊成多胡郡和同四年三月九日甲寅宣左中弁正五位下多治比真人太政官二品穂積親王左大臣正二位石上尊右大臣正二位藤原尊」の一文が刻まれ、和銅4年(711)に片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から300戸を分けて多胡郡が成立した事が判り、辛科神社は多胡郡の総鎮守社として認識されていた事が窺えます。

27 0 68
約15時間前
辛科神社,見どころ,アゲハ

水の出ない手水舎の後ろに控えしは、庫裡である宮司さん宅で、こちらで御朱印を拝受できます。

分かりやすく、おさらいしておきます。
甘楽郡(かんらぐん)には元々、韓級(からしな)と言う郷がありました。
特に加羅渡来人が多く住んだので韓級郷と呼ばれ、多胡郡設立の際に甘楽郡から分割され多胡郡に編入されました。
この韓級郷に鎮座していた神社が「韓級神社(からしなじんじゃ)」で、「辛科神社(からしなじんじゃ)」の事なんです。
加羅系新羅渡来人が祀った神社なんですね。
祭神を見ても一目瞭然、新羅渡来神の速須佐之男命(すさのおのみこと)と、その息子である五十猛命(いそたけるのみこと)が祀ってあります。
話をまとめると、多胡郡 → 多野郡吉井町 → 高崎市吉井町で、韓級神社→ 辛科神社になったんですね。
そしてその郡司が多胡羊太夫で、その事を刻んだ石碑が多胡碑と言う事です。

24 3 69
約15時間前
辛科神社,見どころ,アゲハ

神社の境内には大変興味深い石碑の住民奉納のレプリカがあり、この石碑の実物は同じ吉井町にあり、碑の名前を「多胡碑(たごひ)」と言います。
先日紹介した仁叟寺の多胡碑は裏碑(予備・模刻)といわれる物です。
碑文の内容は要約すると次のような事が書かれております。「朝廷の命令により、上野國片岡郡、緑野郡、甘良郡から三百戸を分割して新たに郡をつくり、羊を統治者とする。郡名を多胡郡とする。」と言った内容です。
ここに書かれている「羊」は名古屋の「羊神社」を建てた、新羅渡来人「多胡羊太夫(たごひつじだゆう)」の事ですがこちら安中市に羊太夫を祀ったと思われる羊神社がある、Omairi投稿で動物の羊さんと誤認している神社です。😃(鷺宮咲前神社が兼任している。)
何故羊太夫と言う名前なのかと言いますと、生まれが未年の未の日だからだそうです。
そして多野郡吉井町の「多野郡」はこの「多胡郡」が転訛した地名で、渡来人(胡)が多く住んだと言う意味でこの地を「多胡郡」としたそうです。
国指定特別史跡でありいわゆる国宝扱いであり、日本で最も古い石碑の一つとされています。
またこの碑文は「続日本紀」にも書かれており、この内容を参考にしたのが、上記の記事になります。
重要な多胡碑に刻まれた内容が、渡来人の事柄って考えるとなんかすごい話ですね。

26 0 65
約15時間前
辛科神社,見どころ,アゲハ

随身門(切妻、銅板葺、三間一戸、八脚門)は江戸時代後期の寛政9年(1791)に修復されて現在に至る。
構造としては1mほどのところに床がある随身門の形式。
床下は、前側には縦の格子があるが、実質的には吹き抜けている。
こちらには、本来いるはずの金剛力士の姿がありません。

前振りで、うんざりする位のながーーーい解説、要点を絞るのが下手なアゲハの生贄になった皆様すみません。💦
ここへ至るためにどうしても必要不可欠な歴史を一応頭に入れてほしかったんですわ。🤗
こちらには、金剛力士の代わりに、神獣がおられます。
〇〇でなく、神獣です。
多くの記事で〇〇ですが、宮司さん曰く、「神獣」だそうです。

24 0 64
約15時間前
辛科神社,見どころ,アゲハ

元多胡碑記念館長である宮司の神保侑史さん、いわく、年代は定かではないとしていましたが、多胡碑とそれに係る歴史的な背景から、推測はついていそうな御顔をされていましたので、これに関連てし、神獣と言い切る根拠があるんだろうと思います。
決して、〇〇と書かない、言わない。あとはお解りですね。(ここまで書いて雰囲気を読めない奴がいないことを祈るわ💧)
自分は推測が付いているので不思議ではないが、不思議な神獣が鎮座する随神門です。

24 2 63
約15時間前
辛科神社,見どころ,アゲハ

神門の神獣は、双方口があいて、角付で金属や綺麗な石が象嵌されている神獣らしい青銅製です。
ここで頭上に電気が付いた貴方はえらい。🤗

加羅渡来人についてもひも解かなくてはならないのだが、三国志(韓国歴)の頃は複雑流動的な歴史もあり割合差せて頂く。
加羅系新羅渡来人が祀った神社で有ること。
祭神を見ても一目瞭然、新羅渡来神の速須佐之男命(すさのおのみこと)と、その息子である五十猛命(いそたけるのみこと)が祀ってることから、当時の文化水準を推し量れるとみている。

26 0 62
約15時間前
辛科神社,見どころ,アゲハ

近未来的な要素もある異国情緒いっぱいの神獣で、胴体には不思議な模様が施されていて、尻尾の先は、宝珠のように丸い。
表皮の風化具合をみるとかなり古そうにも見えることが、紀元前中国の青銅器を思わせるような雰囲気にさせている。
神獣はやせ形で、宮司さん曰く、腹の下が全部空間になっているのだそうです。
型抜きが出来ている証拠なんだろう。
製作はおそらく、多胡郡一番栄えたとされる太平神護2年(766)からと言いたいが確証に乏しいので、称徳天皇以後の奈良時代だろう。

25 1 58
約15時間前
辛科神社,見どころ,アゲハ

神楽殿(木造平屋建て、切妻、桟瓦葺、高欄付き、外壁は3方が柱と建具で構成、木部朱塗り)は江戸時代末期の慶応2年(1866)の建立されています。

「辛科神社と神保氏 」-歴代領主や為政者からも崇敬庇護され鎌倉時代初期の建久8年(1197)には源頼朝が懸仏(銅板製)を寄進し、中世は多胡郡の地頭職を歴任した神保氏が大きく関わり、支配層から没落後も一族が現在に至るまで辛科神社の神官を担っています(辛科神社の境内周囲には土塁や空堀が見られる事から神保氏の居館跡(神保城・神保館)とされます)。
神保氏についての詳細は不詳ですが、度々資料等に散見される氏族で、当地の神保氏が本流とするならば、室町時代中期以降は白井長尾氏に従い、武田信玄の上州侵攻で長尾氏の居城である箕輪城(群馬県高崎市箕郷町)が落城後、武田家に従っています。
永禄10年(1567)に武田信玄により奉納された「生島足島神社起請文」には西上州の諸将61名の中に長根衆として神保昌光も名を連ねています。
その後、神保氏は武田家の滅亡や、本能寺の変、北条家の侵攻、小田原の役などで領主としての権益を失い、辛科神社の神職に専念するようになったと思われます(庶流としては、戦国時代に越中半国の守護代まで上り詰めた一派や、江戸幕府の旗本として名を残した一派もいます)。

25 0 56
約16時間前
辛科神社,見どころ,アゲハ

拝殿前の本物の昭和狛犬さんです。
典型的な子宝繁栄も長生きするスタンダードですね。

27 0 58
約16時間前
辛科神社,見どころ,アゲハ

拝殿(木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝付、外壁は真壁造り板張り)は江戸時代中期の寛文元年(1661)に再建された当時のものです。
拝殿より奥には、「正一位辛科大神」の額が掲げられています。

社伝によると、大宝年間(701~)、
朝鮮半島の新羅系渡来人によって創祀された神社で、『上野国神名帳』に「従二位 辛科明神」とある古社。
よって祭神は新羅系と考えられる須佐之男命と御子神の五十猛命。
合祀
金山毘古命 品陀和氣命 中筒男命 伊邪那美命 大山津見命 建御名方命 八坂刀賣命 大物主命 大日靈命 宇迦之御魂命 木花佐久夜毘賣命 天兒屋根命 市寸嶋比賣命 菅原道眞 鹽光清

古くから神仏習合し寺宝には源頼朝(鎌倉幕府初代将軍)が建久8年(1197)に奉納したと伝わる懸仏や、室町時代の大黒面(出目上満(でめじょうまん)作)などがある。

27 0 56
約16時間前
辛科神社,見どころ,アゲハ

辛科神社本殿(一間社流造、銅板葺、木部朱塗り、壁面に精緻な彫刻)
本殿側面の彫刻は、題材はよく分からないが、何となく大陸風な感じがする。
左右と背面の壁は彫り物で埋められている。
虹梁の繰形の渦模様は円に近い螺旋で質素な造り本殿の虹梁も拝殿とよく似ている

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約16時間前
辛科神社,見どころ,アゲハ

多胡碑のレプリカがある本殿の左手には、末社群
田代鎮座無格社井池神社(市寸島比売命)
塩鎮座村社浅間神社(木花佐久夜比売命
1877年 南川瀬鎮座辛科神社、熊鎮座熊野神社、桐ケ谷鎮座八幡神社、平林鎮座南方神社、上野山鎮座稲荷神社を合祀)、
高鎮座村社稲荷神社(倉稲魂命)、高鎮座無格社琴平神社(大物主命)を合祀

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約16時間前
辛科神社,見どころ,アゲハ

古をしのぶ鳥居がある風景1。

24 0 58
約16時間前
辛科神社,見どころ,アゲハ

古をしのぶ鳥居がある風景2>

34 1 108
1日前
龍源寺,御朱印,アゲハ

龍源寺は、仁叟寺の副住職様が兼任しておられ、御朱印は仁叟寺の庫裡で拝受する形になります。

28 0 90
1日前
龍源寺,見どころ,アゲハ

参道入口、龍源寺の正式名称は、慈雲山松田院龍源寺と称する。
上信越自動車道吉井インターチェンジの南1㎞のおだやかな山間の集落、閑静な上州の大地に抱かて、高崎市吉井町多胡字蟹沢に佇んでいる。
駐車場は山門手前、道路向かいにあります。
寺伝によると、当時は華應存永大和和尚創建(生没年創建年共に不詳)以来、 五代目の智眼慶察大和尚代に山崩れのために堂塔墓地共に埋没した。
その後、正保3年(1646年)、当地領主の旗本門奈六左衛門公の寄進により、 仁叟寺九世日州壽朔大和尚を請来し、曹洞宗として開山。

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