アゲハ のおまいり

半世紀以上の生きた化石なので、なにも期待しないでくださいね。
omiriに参加させて頂き色々と見えて来たことがあり、私なりに、やってみたいと思います。
問題児になるやもしれませんが、もう出ていけと云われる迄常識という枠を外させてもらうかも・・・

ポチッとは、フォローは無理にしなくてもお気に入りだけでも良いですよ。

http://10410san.blog.fc2.com/
「爺のギャラリー光と影へようこそ!」
五つあったブログの内、最後に残しておいた花や風景写真関連のブログです。
今は廃業してますが、ブログは生きていますので、ご覧になりたい方は、どうぞ!!
ホンマは載せたくなかったんだけれど、突き上げがあり公開します。
投稿
23 2 65
約7時間前
法経寺,御朱印,アゲハ

本堂と大黒殿の間に挟まれるように立つ庫裡にて、奥様に快く対応して頂き、桐生七福神「大黒天」の潤筆御朱印をありがたく拝受しました。
お寺さんの謙虚な姿勢にとても好感を持ちました。
気持ち良くお寺さんを後にするってなかなかないですね。

20 0 51
約7時間前
法経寺,見どころ,アゲハ

桐生市西久方町一丁目七-二六に住居を構える妙光山法経寺は、身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗のお寺です。
群馬大学理工学部の西、山手通り沿いにあり桐生工高校正門前から伸びて来た道路と交わる十字路になります。
そこが法経寺への入り口で、進行方向左側の電柱のそばに「桐生七福神 大黒天 法経寺」 「開運甲子大黒天 法経寺」という二つの看板が立っています。
看板を見て左折し、少し進むと小さなY字路となり左側の小道へ入ります。
前方に「身延直末妙光山」「日蓮宗法經寺」の門柱が見え、ここが法経寺の山門です。
ただ住宅地を通るのと道が狭いので車で行く際は注意が必要です。
駐車場は境内に入り大黒殿前に若干と本堂脇を抜けたところにスペースがあります。

21 0 47
約7時間前
法経寺,見どころ,アゲハ

山門を入りますと、沢山の木々が植栽された境内が広がります。
几帳面なまでに手入れの行き届いた境内で、丁度訪問した日は、庭師さん総出で境内の手入れ、選定を行っており、雑然としており、「兄ちゃん、散らかっていて済まないね」ご丁重に謝れました。
この『庭園』の維持はさぞかし大変だろうなぁ~とも思いましたね。

手水舎と賽銭箱の上に角香炉と前面にスタンダードタイプの大黒様が鎮座。

21 0 45
約7時間前
法経寺,見どころ,アゲハ

水盤のなかに石仏、冠があるから聖(しょう)観音ではなかろうか。
冠がなければ、阿弥陀仏なんだろうけど。

法経寺は、明治23年(1890)創建という、市内では比較的歴史の浅いお寺です。
この成り立ちは、桐生金子家の始祖と伝えられる「金子美作守源左衛門尉全吉入道秀長(武蔵七党の流れをくむ)墓碑」の側面 に、『秀長は慶長6年6月(1601)桐生久方郷で遷化し、同所鬼窪に葬られた。
その後、350年余を経て寺域が荒廃したため、法経寺境内に墓地を移した。
法経寺寺域は金子一族が寄進したものである。』
と、いった内容の碑文で残されています。
寺創建後、四世・日正上人、五世・日遠上人のときに、両上人ともに日蓮宗大荒行堂で入行し、祈祷寺としての法経寺の一層の興隆をはかられました。
中でも日正上人のお位 牌には「中興開山」の四文字が刻まれていること、墓碑に「聖人」の文字が刻まれていることからみますと、日正上人が法経寺の発展に尽くされたご功績が、いかに大きかったかを伺い知ることができます。
どちらの称号も、日正上人の抜群のご功績を讃えて贈られたものでしょう。
六世・日秀師(現住職)は、尼僧のため荒行入行こそしませんでしたが、霊断法という日蓮宗の秘法を習得して信徒の信を集め、寺観を一新して現在の法経寺を成り立たせました。
これも両上人同様に、寺史に特筆すべきことでしょう。

21 0 46
約7時間前
法経寺,見どころ,アゲハ

手入れ中の境内に、七福神の小さなお宮に大黒様が祀られているのかと思いきや、これまた立派な大黒殿が建っています。
市内の七福神のうちで、これほど立派な独立堂内に祀られている福神は、この大黒天像だけです。
法経寺の大黒天は、市内の福神の中では、特に恵まれた福神と言っても言い過ぎではないでしょう。
これに訳がありました。
日蓮宗では、どのお寺でも大黒天をお祀りしているわけではありません。
宗門の定めとして日蓮宗の荒行を滞りなくすませた住職のお寺のみが、特別 に祭祀を認可されるものです。
法経寺の大黒天もそのとおりで、当時の住職が荒行修行をされた後に認可があり、大正四年(一九一五)にこの地に祭祀したものです。

18 1 46
約7時間前
法経寺,見どころ,アゲハ

当初は、現在の大黒殿と対峙した「法界万霊供養塔」の近くに小堂を建てて祀りました。
それが信徒の積極的な喜捨によって、近年、現大黒殿建立を見事に実現させ、大勢の善男善女の参詣に応えるようになりました。
六十日ごとに訪れる甲子(きのえね)の日に開催される『開運甲子大黒天祭』には、各地から大勢の人々が参詣に訪れて、立派な大黒殿にふさわしい賑わいを見せてくれます。

大黒殿扁額も誇らしげに掲げられていました。
七福神大黒天のスタンプも、こちら大黒殿前に設置されていました。
スタンプ押印料(百円)を入れて、自身で押印することになっています。
このスタンプの案内張り紙に「大黒様はこちら大黒殿の奥にございますが、当山の秘仏に着き、外から御参拝下さい。と但し書きがありました。

19 1 45
約7時間前
法経寺,見どころ,アゲハ

大黒殿内陣
中を拝見。
中央に何か乗っているように見えるのですが、小さくて確認できません。
ここの「秘仏」って、こういう状態のことなのかぁ~!?
この大きくて立派な大黒殿に祀られる大黒天像は、建物の大きさにそぐわない感じのするほど大変に小さな像です。そのため大黒天像の姿・形は定かには拝めませんが、御利益はご神体の大きさに関係ありません。
庫裡に伺い外からの撮影ならアップも大丈夫ですかと伺ったところ、容易がはっきりしてなければ良いですよとの事で、これが限界です。
奥の厨子に安置されている秘仏とされる大黒様このサイズなら、当初の小さなお宮で良かったのではないだろうか。

17 0 42
約7時間前
法経寺,見どころ,アゲハ

本堂は木造平屋建て、入母屋、妻入、桟瓦葺、正面1間唐破風向拝付、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。

法経寺は、現在のところ開基については 解き明かされていません。
先般 発行された『積善・桐生のお寺』でも「開基不詳」となっています。
一つの説として、「江戸の旗本・花房志摩守の家臣だった能登谷金次郎が開基」とする文献(桐生市史)もありますが、一方で、法経寺の縁起では、 「能登谷金次郎は、美作(岡山県)出身の武士で、出家して宗門史上有名な備前法華の流れを汲む上人となられた方である。別 説には、赤城山滝沢に修行道場三宝堂を建て、そこの大滝に打たれて修行した、日蓮宗には数少ない法華山伏ではなかったかという古老の伝承もある。どちらにしても、能登谷金次郎は開基ではなく当山の開山。」 と述べられています。
このことから、ここでは、その法経寺縁起を取り上げ、『開基は不詳』としておきます。

19 0 39
約7時間前
法経寺,見どころ,アゲハ

法経寺本堂内。

名称      妙高山 法経寺(ほうきょうじ)
宗派      日蓮宗
本山      身延山久遠寺
御本尊      久遠実成釈迦如来
開創      明治二十三年(1890年)
開基      不詳
開山      信行院日徳上人
札所等      桐生七福神めぐり(大黒天)

法経寺のご本尊は、釈迦如来(久遠実成釈迦牟尼仏)です。
お祀りされている本堂の位置は、大黒殿の少し上手にあたります。
久遠実成(くおんじつじょう)とは、法華経の教えにおいて、釈迦は30歳で悟りを開いたのではなく永遠の過去から仏(悟りを開いた者)となっていたが、輪廻転生を繰り返した後についに釈迦として誕生して悟りを開くという一連の姿を敢えて示したという考え方。久遠成実、久成正覚などとも言う。「久遠」とは、漢語で「永遠」を意味する言葉で、時間が無窮であること。
話が長くなるので書けないが、日蓮の死後、釈迦を本仏とするか、日蓮を本仏とするか分かれ、文底秘沈を説く興門派などは、五百塵点劫と、寿量品の「我れ本の菩薩道を行じて成せし所の寿命は、今も猶(なお)未だ尽きず」を組み合わせ、釈迦が覚った有始有終の時を示す経文と捉え、久遠元初という用語を生み出し、日蓮を本仏とするに至った。
日蓮宗のひとつの特徴です。

18 1 41
約7時間前
法経寺,見どころ,アゲハ

見事に手入れされた山道と日蓮聖人像が注ぐ日の光にまぶしく輝いています。
像は、もちろん日蓮宗の開祖・日蓮上人(立正大師)の像です。
日蓮上人は鎌倉中期で、16歳(12歳説も)で出家、比叡山等で修行を重ねた後、建長五年に日蓮宗を開かれました。
その後、故郷の安房国に戻られて、法華経の信仰を広げようと布教に努めたが、念仏者との対立した為に、一旦は鎌倉に出ての布教したが、上人の心が当時の人には理解されず、かえって上人は伊豆や佐渡へ流されたり、様々な迫害に合うなど多くの困難・至難・弾圧に合うが、その艱難辛苦にもめげず、布教に意を注がれたが、上人の説く法華経や国を思う心は、鎌倉には入れられず、上人は身延山に隠棲して、しばらくの間、弟子や信者の指導に当たり、弘安五年、上人は意を決して、身延山をたって関東に向かいましたが、思いも空しく、途中の武蔵国の池上氏館内で没します。
時に61歳の遷化でした。
本堂近くに建つ日蓮上人像は、はるか彼方を凝視して合掌を続けるお姿が彫出されています。
法華経布教を決意されたお姿なのかもしれません。

17 0 39
約7時間前
法経寺,見どころ,アゲハ

日蓮聖人像と石段を挟んで反対側にある親子地蔵。
宝徳寺などで小さなほっこり地蔵として見かける親子地蔵ですが、此方での云われは分かりませんが、主に戰災殉難死者供養のため、世界の平和を願うために建立されることの多いお地蔵さんです。

15 0 36
約7時間前
法経寺,見どころ,アゲハ

山道からの本堂境内側の眺め秋の清清しい青空と桐生の街並み、紅葉のマーブルカラーに彩られた風景が仏様の輝きの様に見えました。

16 0 33
約7時間前
法経寺,見どころ,アゲハ

山道からの眺めた開山堂
日蓮上人像脇の急な石段を登っていきますと、正面に瀟洒な建物の開山堂があります。

16 0 33
約7時間前
法経寺,見どころ,アゲハ

開山堂、一寸四方形の形が変わった小さな御堂です。

17 0 32
約7時間前
法経寺,見どころ,アゲハ

名称は開山堂ですが、法経寺開山・信行院日徳上人の立派な御位 牌を中心にして、歴代住職の御位牌も安置され、眼下の法経寺の変遷・発展を見つめ続けられる位置に御堂があるのも先代の意向なのでしょうね。

17 0 33
約7時間前
法経寺,見どころ,アゲハ

開山堂への石段を登る途中で山道は二手に分かれます。
二俣に石製春日鳥居があり此方が最上稲荷社の第一鳥居に相当するもので、石段を上がると稲荷社へ至ります。

下は第一鳥居の山道からの眺めた最上稲荷社

17 0 36
約8時間前
法経寺,見どころ,アゲハ

最上位青石稲荷大明神を祀る最上稲荷社は、開山堂の向かって右手にあります。
創建時、すでに祀られてあった稲荷社この地に移転されましたが、寺院らしい社と狛狐、春日鳥居の組み合わせに神仏習合時の名残でしょう。
例えるならば、まるで、僧侶が神棚にお経を唱えるようなもので、今では不思議な感じがしますが、江戸時代までは、一般的な姿でした。
神仏分離で分けられた稲荷(神社)に慣れ親しんでいるのがぼくらの世代です。

18 2 38
約8時間前
法経寺,見どころ,アゲハ

花崗岩で出来た玉鍵信仰の標準型狛狐さん。
向かって左側が鍵、右側が玉!
玉鍵信仰にのっとった、スタンダードな火伏の組み合わせで、標本見本のような狛狐さんです。

最近訪れた寺社

訪れたエリア

  • A
  • B
  • C
  • D
  • E
  • F
  • G
  • H
  • I
  • J
  • K
  • L
  • M
  • N
  • O
  • P
  • Q
  • R
  • S
  • T
  • U
  • V
  • W
  • X
  • Y
  • Z
  • a
  • b
  • c
  • d
  • e
  • f
  • g
  • h
  • i
  • j
  • k
  • l
  • m
  • n
  • o
  • p
  • q
  • r
  • s
  • t
  • u